古都ブログ

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六孫王神社

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六孫王神社は、清和源氏の初代・源経基が住んでいた
屋敷跡に建てられた神社であり、
清和源氏発祥の地といわれる由緒ある神社です。

祭神の源経基は清和天皇の第六皇子貞純親王の子であり、
天皇の孫であることから「六孫王」と呼ばれていました。

境内には、源経基が死ぬ間際に
「死んで龍神になり、邸内の池に住んで子孫の繁栄を祈るから
この地に葬るように」と遺言したといわれる神龍池があります。

また、六孫王神社はソメイヨシノやしだれ桜など桜が美しく、
黄緑色の桜が咲く、鬱金桜(ウコンサクラ)が有名で
春には境内が華やかになり、たくさんの人が訪れます。

東本願寺

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浄土真宗「真宗大谷派」の本山で、
西本願寺と区別して一般に東本願寺と呼ばれています。

宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって
聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。
これが東本願寺の始まりです。

はじめに出迎えてくれるのは、京都三大門の1つである立派な御影堂門。
境内には、御影堂・阿弥陀堂をはじめ、数々の歴史的建築物が点在しています。
その一つ一つが京都の近代和風建築を代表する貴重な文化財です。

東本願寺は、たびたび火災に遭っており、
現在の建物はいずれも明治時代からの再建ですが、
真宗寺院の典型的な様式と配置で再現されています。

行願寺

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行願寺は一千年の歴史をもつお寺で、
別名「革堂(こうどう)」とも呼ばれています。
 
行願寺を創建した行円上人は、仏門に入る前は狩猟を業としていました。

ある時、山中で身ごもった雌鹿を射止めたところ、
その腹から小鹿が誕生しました。
雌鹿は血まみれの小鹿の体を舐め愛おしんでいましたが、
そのうち力尽きて死んでしまいました。

その様子を見ていた行円上人は今までの殺生を悔い、仏門に入りました。
行円上人は、死んだ雌鹿の皮を常に身につけていたことから、
「皮聖」「皮聖人」と呼ばれ、
そのことから行願寺を「革堂」と呼ぶようになったそうです。

行円上人が肌身離さずつけていたとされる雌鹿の革衣は、
現在も行願寺の「宝物館」で大切に保管されています。

祇園祭 -宵山-

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祇園祭で一番の盛り上がりをみせる宵山。
7月1516日には、一部のエリアが歩行者天国になり、
屋台露店が立ち並びました。

山鉾の提灯が灯され、
「コンチキチン」の祇園囃子が街中に響きわたり、
街中はたくさんの人で賑わいます。

各山鉾には、厄除けのちまきや祇園祭限定のグッズが販売されており、
その山鉾ごとにご利益が異なります。
玄関の軒先に吊るしておくと、疫病神の侵入を防げるのだとか・・・。

また、宵山の時期には「屏風祭」という山鉾町にある旧家・老舗が
それぞれの所蔵する美術品・調度品などを飾り、
公開するというお祭りも開催されています。

様々な楽しみ方ができる、京の夏の風物詩・祇園祭も終盤を迎えています。
今年は猛暑と共に、また歴史に残る祇園祭になったのではないでしょうか。

本教寺

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本教寺は、京都伏見の大手筋商店街にある寺院です。
「大手筋の妙見さん」と呼ばれて地元の人たちから親しまれています。

境内には、徳川家康の次女・篤姫が秀吉より贈られた牡丹が植えられており、
「慶長牡丹の寺」とも呼ばれています。
牡丹は毎年4月中旬頃に美しい花を咲かせてくれます。

また、本教寺は「十二支妙見めぐり」の「午(南)」の寺として信仰を集めています。

「十二支妙見めぐり」というのは、江戸時代中期に、
京都御所の紫宸殿を中心に十二支の方角に、
各々妙見菩薩を祀ったことに始まり、
江戸時代を通してこの十二のお寺を順番に訪問して、
開運や厄除けを祈願することが大いに流行りました。

しかし、明治時代になるとやがて衰退してしまったとか・・・。

昭和61年、京都の日蓮宗のお寺を中心として「洛陽十二支妙見会」が発足し、
再び「十二支妙見めぐり」が復活しました。
現在の12のお寺は、江戸時代とは大半が入れ替わっているようですが、
当時の歴史と伝統を今に伝えようとする試みのようです。

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