椥辻(京都交差点名・山科区編②)
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「椥辻(なぎつじ)」
この地に大きな椥の大木があったことからこの名がついたそうです。
椥辻は、山科盆地の中央に位置します。
地域の中央を南北に縦断する道は「醍醐街道」、
また東西に横断する道は「京都道」で
滑石越から今熊野に通じています。
この交差点が「辻」と言われる、椥辻の中心だそうです。
椥辻近隣の建造物
・京都市山科区役所
・地下鉄東西線椥辻駅
・なぎ辻病院 等
「椥辻(なぎつじ)」
この地に大きな椥の大木があったことからこの名がついたそうです。
椥辻は、山科盆地の中央に位置します。
地域の中央を南北に縦断する道は「醍醐街道」、
また東西に横断する道は「京都道」で
滑石越から今熊野に通じています。
この交差点が「辻」と言われる、椥辻の中心だそうです。
椥辻近隣の建造物
・京都市山科区役所
・地下鉄東西線椥辻駅
・なぎ辻病院 等
「四ノ宮(しのみや)」
人康親王(さねやすしんのう)が、
仁明天皇の第四子であったことから「四ノ宮」
の地名の由来になった親王です。
盲目でしたが詩歌管絃に優れた人でこの地に山荘を営み、
盲人たちに琵琶や朗詠を教えたといわれています。
また、伊勢物語に登場する「山科の禅師親王」は人康親王のことで、
現在も四ノ宮には人康親王 山荘跡が残されています。
四ノ宮近隣の建造物
・人康親王 山荘跡
・人康親王御墓
・山科地蔵(徳林庵) 等
「横大路(よこおおじ)」
横大路地区は、伏見区南西部にあります。
竹内街道・横大路(大道)は日本最古の国道とも言われています。
古文書によると秀吉がここを開いたそうです。
名前の由来ははっきりとしていませんが、
現在は幹線道路などが集まる京都の玄関口とも言われています。
北は外環状線、南東は宇治川、南は淀競馬場、東は東高瀬川、西は桂川に囲まれています。
また工場やお店なども多くあります。
横大路近隣の建造物
・㈱創味食品 本社/工場
・京つけもの大安 工房店
・朝日新聞京都工場 等
「六地蔵(ろくじぞう)」
京阪六地蔵駅からもスグの場所でその名の由来となったのはお寺です。
705年定恵の開山により創建された浄土宗のお寺で、
平安時代前期に円珍が天台宗に改宗。
その後永禄年間(1558年 – 1570年)現在の浄土宗になったそうです。
そして852年に小野篁が一本の桜樹から6体の地蔵を彫ったとされ、
その後、後白河天皇の勅命で平清盛が疫病退散のため保元年間(1156~1159年)に
西光に命じて街道口6カ所にそれぞれ六角堂を建て、
六体の地蔵を一体ずつ移動させたと言われています。
六地蔵にある大善寺は奈良街道口にあたるそうです。
六地蔵近隣の建造物
・法雲山 大善寺
・大善寺前 地蔵堂
・京阪宇治線六地蔵駅 等
「中書島(ちゅうしょじま)」
中書島とは、現在の東柳町・西柳町に当たる地の俗称でその名が示すとおり、
今から約300年前宇治川により隔てられた島でした。
それが埋め立てられて現在の地形に変わったそうです。
しかし現在も周囲には堀や宇治川が巡らされ、昔の面影をわずかに感じさせています。
中書島の由来は伏見城下町時代に脇坂中務大輔安治(わきさかなかつかさたいふやすはる)の邸宅があり、
その中務大輔の唐名「中書」が地名として定着したものといわれているそうです。
中書島近隣の建造物
・京阪本線 中書島駅
・京都府立 伏見港公園 等