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今熊野(京都交差点名・東山区編①)

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「今熊野(いまぐまの)」
東大路通でJRが下に走っている高架の交差点です。

後白河上皇が清盛に命じ、熊野の新宮・法住寺殿の鎮守社として造営させた、
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)に由来している。
「新」には「今」の意味があり、新しく建立された熊野神社を表しているそうです。

今熊野近隣の建造物
・新熊野神社
大谷中学高等学校 

百万遍(京都交差点名・左京区編②)

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「百万遍(ひゃくまんべん)」
京都大学のある京都では有名な交差点ですが、
百万遍という地名ではありません。
実は知恩寺の正式名称が浄土宗大本山 百萬遍 知恩寺といい、
この寺がここにあったことからその辺りを「百万遍」と呼ぶようになったそうです。


1331年(鎌倉時代)に地震が原因の病気が流行り、
後醍醐天皇の名を受けて、空圓というお坊さんが弟子たちと一緒に、
7日7夜にわたって大きな数珠を回しながら百万遍(100万回)の念仏を唱えたことが百万遍の由来となっています。

ちなみに「知恩寺」の由来は、今から八百数十年前にさかのぼります。
浄土宗を開いた法然というお坊さんが、神宮寺というお寺に住んで念仏を教えを説いたのが始まりです。
法然が亡くなってから、お弟子さんである源智というお坊さんが、
師匠の恩に報いるため、「恩」を「知」らなければらなないということから「知恩寺」と名付けられたそうです。

現在の百万遍は、京都大学の学生で賑わう活気のある街となっています。

百万遍近隣の建造物
・知恩寺
・京都大学
・吉田神社 等

 

 

高野(京都交差点名・左京区編①)

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「高野(たかの)」
高野と言えば、出町柳の鴨川から西と東へ分岐し、
左へ分岐した川の名が淀川水系の一級河川「高野川」と言います。
地名の高野もそこから来ていると言われています。
「高野」の由来ですが、平安京遷都の際の「御狩野」の「鷹野」に
由来しているそうです。

また、高野川は大原では「大原川」、八瀬では「八瀬川」とも
呼ばれているそうです。

高野周辺の建造物
洛北阪急スクエア
・左京郵便局

荒神口(京都交差点名・上京区編②)

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「荒神口(こうじんぐち)」
河原町通りにある小さな交差点です。
京都七福神の一つで「清荒神護浄院」に由来し、
「荒神さん」とも呼ばれていて火の守護神でもあるそうです。

京の七口でもある『荒神口』。
京の七口とは、京都と日本全国を結ぶ街道の出入口のことです。
荒神口の交差点の東側、鴨川には「荒神橋」という橋がかかっています。
かつては、ここから鴨川を渡って京の外に出る。
いわゆる志賀越え(山中越え)で比叡山を越えて、近江(滋賀県)まで行くことができました。
現在でも荒神橋の東詰から、北東方向へ斜めの道が走っており、志賀越えと言います。
つまり、ここは洛中から洛外へ出る「七口」のひとつだったわけです。

荒神口周辺の建造物
護浄院 (清荒神)
・荒神橋
京都府立医科大学附属病院 

上七軒(京都交差点名・上京区編①)

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「上七軒(かみしちけん)」
京都市上京区真盛町から社家長屋町に位置する花街です。
室町時代に北野天満宮の再建の際に残った機材を使って7軒の茶店を建てられた
ことが「上七軒」の由来とされています。

その後、1587(天正15)年、8月10日、豊臣秀吉が北野で大茶会を催した際に、
秀吉が「茶の湯に熱心な者は、若い者も町人や百姓も身分を問わず来座を許す」と布令を発したため、
人々は喜んで洛中はもちろんのこと、洛外からも大勢が集まってきて、北野は賑わったそうです。 

お茶屋さんが軒を並べる上七軒の町並みは、
時折舞妓さんが歩く姿が見られ、花街の京都ならではの情緒があります。
京都には上七軒のほかに、祇園甲部・宮川町・先斗町・祇園東の五つの花街がありますが、
もっとも伝統が古く格式が高いのがこの上七軒といわれているそうです。

ちなみに、「上七軒」の読み方ですが地元住民の方々は「かみひちけん」と呼ぶそうです。

上七軒周辺の建造物
上七軒 西方尼寺
上七軒歌舞会
北野天満宮 等

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